日本代表の過大評価云々

中田英寿が「我々は7年前からW杯予選を戦っていない」「日本は成長しているかもしれないけれども、他国だって同じだ」とか、今のサポーターの意識についてやんわり批判してるんだけど、実際にはそんなことはさしたる問題でなかったりする、のではないかなあ、と思ったりするわけ、ですよ?(中田が好きなので反論を言うのは気が引けます)

他国も強くなってるとかそういうのはほんと全くもってどうでもいいことなのです! とは言い切れないけれども、この場合他国との相対評価なんてどうでもいいんですよ。例えばFIFAランキングはあくまで基準のひとつでしかなくて、あんなものを鵜呑みにして「5位のメキシコは45位のスイスよりも圧倒的に強いのである!」なんて言われてもそうそう納得できるものじゃない。

ファンにとって重要なのは「自国の代表が強くなっているかどうか」であって、そこに他国の実力は介入しませんよ。ここで基準となるのは過去の日本代表であり、過去の日本代表と比べて現在の代表はどうなのか、という意味での相対評価の結果の「日本は強くなってきている」であり、ジーコジャパンは「弱くなっている」という判断をされているわけだ。だからブーイングしたりもするんだな。内容が悪いって思ったりするわけだ。まあ中には、2002年W杯の結果がベスト16で、そんな日本がオマーンなんかに負けるはずないやん、という人もいるのかもしれませんが、ていうか間違いなくいますが、それがメディアやサッカー評論家の中にもいたりしてアレですが、少なくとも僕は違う、つもり。

もちろんW杯出場はサポーター全員が望むところで、そのためには勝たなければならない、勝つとは勝負の結果、勝負には相手がいる、じゃあ相手の実力は?という思考のために相手はどのくらい強いのかというのを知りたいと思うわけですが、その場合の相対評価の基準は日本なんだな。これがややこしい。オマーンなんていう地図でどこにあるかも知らない国と日本との実力を比較する場合、圧倒的に情報が少ないから(調べれば出てくるけどさ)一番わかりやすい「結果」で判断しようとする。その結果に「日本はW杯でベスト16になったのである!」なんてのがあるから、サポーターの誤解だったり、中田のサポーターに対する誤解が生まれたりする。いやいややっぱりオマーンは、言われるほど弱くはなかったとはいえ格下だとは思うけどさ。けど前半終了後にブーイングが起きたのは「オマーン相手に0−0」という結果に文句を付けたわけではなく、「日本代表がこんな組織も約束事もプレー精度もない試合」という内容に関する文句だったと信じたいんだけど、違う?

中田はね、日本のメディアを偏った目で見がちっていうか、まあはっきり言うと見下してモノを言う人なのですが、サポーターっていうひと括りに対してもちょっとそういうのがあるような気がするね。ファンからのメールを多く貰ってそれを全て目を通す人(と本人は言っている)だし、ファンがメディアに踊らされている状況っていうのを自分の移籍話が持ち上がってきたたびに目にしている人だから、仕方ないところもあるのかなとは思いますが。

あと、サポーターのブーイングに対する中田の否定的なスタンスについて「中田もわかってねーのかよがっくり」みたいに思った人も多くいるようですが、ちょっと待て。あくまで中田英寿は一個人であり、サポーターの気持ちを代弁してくれる存在ではないはず。ていうか、中田が組織ありきのトルシエ体制においてものごっついネガティブな感情を抱いていて、その対極にある組織なんてイラネーヨなジーコ体制においてはポジティブな印象を持っていることを今更ながら気付かれても。しかもそれに対して「がっかり」みたいなね。秋田や中西の解雇騒動で「もっと選手個人を尊重!」みたいなこと言っておいて、その個人がある意見を口にして、それがサポーターの意見と違ったら「がっかり」みたいなね。いやがっかりするっていうのは別に個人の勝手なんでいいですけど、よくわかんねーわ。サポーターって勝手だよね!

ついきー。

とりあえず僕その他大勢に向けられたメッセージかどうかはわかんないんですが、「自分の意見と違うから嫌と言ってるわけではない」とおっしゃる方がいらっしゃいまして、それをそのまま上の文章、特に最後の段落に当てはめると僕は「勘違いしている」ということになってまして、ああ、いかんなあと思ったので弁明というか反論しておきますと、別に僕はサポーター個人が「がっかり」だったり「その通りだ!」って思ったりすることは「そこにいかなる理由や価値基準があろうとも」問題ないと思います。つーか、それこそ上の文章なんて僕個人の考え方であって、それに対して圧倒的多数が不快感を覚えたとしても、それはそれ。意見なんて是非あるのが当然であって、それを統制すべきである! 反対意見は淘汰されるべきなのだ! なんてばかばかしいことです。僕が不快感を覚えるとか、あるいは僕によって誰かが不快感を覚えるとか、社会的な部分では最も重要であろうことですら、この場合においては僕にとっちゃどうでもいいことで、そういう感情の部分を抜きにした上で、サポーターや個人の感情的な部分の是非を僕の中で噛み砕いた上で書いているつもりです。そして僕が不快感を覚えるモノゴトに対して僕が否定的な意見を持つのは当然のことだけれども、その不快感を覚えるモノゴトに対してはひとつのモノゴトとしての成り立ちを僕は認めますっていうかむしろあるべきだと思う。けれども賛成はできませんよ、僕個人としては反対意見ですよ、と割り切って考えるようにしています。つまりはディベート、と呼べるほど僕が成熟しているとは思えませんが、ディベートというのはディベートをする本人が題目に対して賛成か反対かというのは全く問題になりません。単純にあるモノゴトに対して「賛成」「反対」を述べ、それに対して議論を行うのであり、そこに感情は介入しない。例えそのモノゴトが、感情の介入した題目であったとしても、です。

僕のここに書くテキストのスタンスはつまり、乱暴な言い方をすれば「好きにすりゃいいじゃん、けど僕はこういう考え」というものなんですな。ていうか、アンテナに入れてるのは僕が見たいからであり、そこには「ヲチ」なるネガティブな感情は存在しません。いらつくようなサイトは見ませんので。

しかしながらここで僕の書き方が大いに問題で、最近の僕の傾向なのですが「わざと」感情的に書くようにしているフシがある。フシ、というのは僕が楽してものを書くとそうなってしまうので、意識しないところで思わず出ちゃってたりする、どころの話でなくて、全面から負の感情思いっきり出してますよ的な文章になってしまうことが多々ある。昔はもうちょっと気にしてたんですけど、このくらいの方がリアクションはあるので良しとしています。意図として不快に思わせるというのは全くないです。ごめんなさい。