チームと選手、どっちが犠牲になればいいの?

ほら秋田とか相馬とか中西とかのね、早期退団に関しては個人的な気持ちとしては残念ですよ。だけど、こと議論になったときにこの見出しみたいな部分が焦点になってる状況がもう。

Jリーグは、構想がバブル最盛期の頃に出てきてて、直後にバブル崩壊して、それでも川淵チェアマンが強行してリーグを発足させたっていう経緯がある。このことで最も恩恵を受けたのは間違いなく選手です。ゴン中山が言ってるように、今までサッカー少年にとってプロサッカー選手っていう選択肢が国内に存在していなかったものができたんだから。サッカーを生業として食っていけるんだから。それは単純に心の充足感のみならず技術も飛躍的にアップさせるわけで、事実日本サッカーのレベルっていうのはここ10年で見違えるほど成長している。現在、日本経済が立ち直っていないんだから、あの時期に川淵チェアマンがリーグを強引に立ち上げていなければ、おそらく今もせいぜい実業団程度の活動にとどまっていただろうし、プロとしてプレーしている選手の大半はサッカーに関係のないところで職についてたんだろうし、ワールドカップが夢のまた夢という状況も変わらず続いていたんじゃないかなと思う。夢や希望は、全てがそればかりとはいかないけれども確かにあった、ということを間違いなく選手は認識し、口にしている。

だけどチームにとっちゃ大変ですよ。明らかに日本経済全体が右肩下がりな状況で経営なんてさ。強力な収入源がない限りとてもやっていけない。そういう、スタートラインからして最悪に近い状況から始めたチームに対して、今更、ほんと今更「経営手腕を疑う」だの「淘汰されるべき」だのと言い出す。いやいやむしろ不思議なくらいよく持った方ですよ。それが今、リーグ発足によって恩恵を受け、夢や希望を追いかけることができた選手らに現実を押し付けることでようやく波及しだしている。その波及の責任をすべてチームに押し付けることがナンセンス。そもそもこの背景にある、生活の保障なんていつなくなるかわからないサッカー選手なんていうものになる方が賢くないと言われても仕方ない。夢や希望と、現実とが相容れない、同時に混在できる状況にない中で二者択一の結果、選手は夢を追いかけた、その結果現実を突きつけられたっていう過程を抜かして「夢や希望のないこの世界」とか言っちゃうってどーなの。

選手の肩を持ちたい気持ちは痛いほどよくわかるけれども、経営的に危ういチームがそもそも存在していなければ中西あたりだって出てこないですよ。いくら経営的に有利なチームだって、それらにJでやってる選手全員を分配したら傾きますよ。まあ、サポーターってのはたいがい勝手で、ある程度の夢・感動を与えてくれた選手には人情を覚えるし、そのボーダーラインに達しない選手に対してはプロフェッショナルを求め「下手なんだから解雇は当然」とでも言うように暗黙の了解を得る存在だからさ、そういう人にとっては上手い人だけが残って他はチームと一緒に淘汰されてしまえばいいなんて思うのかもしれないけれども、それこそいい意味での第二・第三の秋田や相馬や中西や、森保や浮氣あたりの名選手を生むチャンスを積んでしまう結果になることをもうちょい考えろ。あまりに悲劇のヒーローを中心にものを言いすぎだ。

チームが消滅するということは、そのチームに所属する選手の多くをも同時に消滅させてしまうということを、それこそフリューゲルスのときにもっと学ぶべきだったんじゃないのか。選手かチームか、ではなくて選手とチームが密接で切っても切れない関係にある。ここで言うような「選手」という言葉を「特定の選手」に置き換えて、しかもその特定の選手に思い入れを注ぎ込んでものを言うから議論にならない。片方が議論しようとしているのに、それに対する批判がただの不快感じゃあ如何ともしようがない。

で、こういうこと言うと批判対象が選手の肩を持つ人で、あんたはチームの肩を持つのかっていう風に安易に受け取るからまたややこしい。知ってる中ではHFCはあまりに怠慢だったし、それはもう動かしようのない事実。けど前提として、リーグ発足自体経営の面から異常で、加えてそんな環境ですら夢とか希望とかを見ていられた選手やサポーターがいたっていう状況が異常。それでも、これからも維持・回復していくためにどうしようか、っていうことについて提言していることに気付けよ。

あと藤田のことは全く別問題。あのケースはどう考えたって藤田が10割被害者。そのことについてはまた別の機会に触れたいと思います。