街〜運命の交差点〜

届いてからぶっ続けで次の日に大方終了。今は金のしおり出すためにバッドエンド集め。

実写については違和感なし。というか、このゲームは実写じゃないとダメなんじゃないかなと思う。だって主人公は8人いるけどプレイヤーは8人いないもの。ヤクザであると同時に役者でありしかもお互いが瓜二つ、という自分は存在しないし、そのお互いがバッタリ出くわすなんてあるはずないじゃん。読み進める中でできるとしても感情移入までで、プレイヤーが主人公になり切るのは不可能じゃなかろうか。そもそも「弟切草」や「かまいたちの夜」のように主人公とパートナーの名前を自分で設定できないんだから、製作者側としてもそういう遊び方を想定してないでしょ。8人の主人公にはそれぞれ個性があって、プレイヤーができるのはその個性溢れる8人の主人公をエンディングに導くことだけで、選択肢以外ではプレイヤーは読者でしかない。プレイヤーは主人公じゃないんだね。で、そういう個性をより強調するための実写だと。ならいいんじゃない、それで。サウンドノベルなら主人公=プレイヤーでなければならない、なんてことはないんだし。「実写だと想像力がかき立てられない」というのなら、それはサウンドノベルにこだわらず普通の小説読んだ方がいいんじゃないのと思う。

マルチフラグメントと呼ばれる、ある主人公の行動が他の主人公に影響を及ぼすというゲームシステムについては、例えば主人公の1人が1日目で「終」エンドを迎えて、その他が「完」エンドまで辿り着く、ということはできない。それぞれがどこかで因果関係を持たないと全員が最後まで辿り着けないし、逆に言えばプレイヤーが成すべきことは8人全員の行動を調整して全員を「完」エンドに持っていくこと。誰か1人が気に入ったからそいつだけやりたいってことはできないわけです。「かまいたちの夜」で言えばスパイ編は好きだけど幽霊編は好きじゃないからスパイ編だけやろうってことはできるけど、ピンクのしおりを出すためには両方やらなきゃならないよね。「街」でエンディングに到達するということはどちらかというと後者のピンクのしおりを出すことに似ている*1。違うのはそれぞれのストーリーを同時進行しなきゃならないって部分か。そういう意味でシステム的にはあまり感心しなかったのだけど、それぞれのストーリーを関連付ける構成力は素晴らしいなと思った。

好きなストーリーは「The wrong man 牛」&「馬」と「七曜会」。牛馬はこれぞ街という感じ。特に牛が好きかな。演技も上手いし。「七曜会」は最後の投げっぱなしジャーマンさえなければ完璧だったんだけど。「迷える外人部隊」や「シュレデインガーの手」の退廃的な雰囲気は好きだけどどちらもラストが微妙。まあ外人部隊の方はピンクのしおり出した後にできるシナリオやるとまた違うけど。「オタク刑事、走る!」は「街」において事実上の主人公なのだろうけど、アナグラムを主人公がどんどん解決しちゃうし、展開は割と普通だし。「やせるおもい」「で・き・ちゃっ・た」は合わなかった。

ちなみにこのゲーム、窪塚洋介北陽伊藤さおりが出てます。1999年発売だから無名時代。伊藤さおりなんか主役張ってるし。

*1:実際にPS版においてピンクのしおりを出す条件は8人全員の「完」エンドを見ることなのだけど